若き『戦友』たち・・ 04/03/01UP

 武力を伴わない議会制民主主義下の戦争−それが選挙である。出陣、戦(宣)車、実弾…戦争用語が飛び交い、運動員の確保を初めとする人(兵員)の手配、自動車や賄(まかない)などの後方支援(兵站)、戦略・戦術をねり上げる選対本部(司令部)といった具合に、まさに相手との総力戦の様相を呈する。
 もっとも「勝ちに不思議の勝ちあり、敗けに不思議の敗けなし」で、総合力が劣っていても、開けてみたら勝ち−という選挙もある。いわゆる『カゼ(風)』が吹いての勝ちだ。特に最近のわが国の選挙はこの傾向が強い。しかし、敗けた方は事実として票が足りなかったのだから、負けは負け。「なんでだろ」とハヤリ言葉も口にしたくなるが、これが『戦争』の難しいところなのだ。
 ただ、勝ち負けは別にして、選挙は候補者に宝物を残してくれる。それは人によって、地位であったり、財産であったり、名誉であったり、それぞれ違うのだろうが、私にとっての最大の宝物の一つは、この種のものでは決してなく、七回に及ぶ選挙戦を共に戦ってくれた学生さんなどの若き戦友.たちの存在だ。
 20年近く前の私の初戦と第2戦のころ、無名の新人候補者で、ただの一人も 市会、県会の議員の応援がなかった私の選挙は、学生さんや主婦がすべてといっていい態勢で進められた。また、それ以外に組み立てようがなかった。私も若かったから、朝立ち(朝の駅頭での演説)、ポスター貼り、ビラ配りなど、すべての作業を学生さんたちと一緒にやった。選挙資金の乏しさを『金欠候補』のノボリで売り、ポスターをベタ張りして回った。当時のボランティア学生さんは、本当によくがんばった。彼らは、まさに戦いを意気に感じ、見事なゲリラ戦を戦ってくれた。この伝統はいまだに私の選挙の中に生きつづけている。伝統どころか、この小冊子の裏表紙の真ん中にある私のギョロ目顔は、初戦に参加してくれた、たしか横浜国大の男の学生さんの作で、いまだに私の心の寄り所とさえ思える。
 ともに厳しい選挙戦を戦うと、初めは見ず知らずの間柄だった学生さんたちの間に、熱き友情が育つ。それはそうだろう。駅前の陣取りのため、二人でコンクリートの床の上の寝袋の中で寝たりしながら、時には政治や社会を論じ合ったりすれば、心の絆はつながるはずだ。
 友情どころか、男女の学生さんの間では、愛情が芽生え、育ち、やがて結婚というケースが少なくない。初戦での慶応の男子と横浜国大の女子が第一号。今回の選挙で駅前で朝立ちをしていると、「鈴木さん、○○ですっ」といって握手を求めてきたのが、この男子だった。子供ができたとはウワサで聞いていたので、「大きくなった?」と聞くと「こんど高校受験です」。
 第2戦での、これも慶応の男子と共立女子大のカップルは私が媒酌をつとめた。彼らをはじめ、私が縁結びの神様となったケースは、思い起こしてみると、少なくないどころか、かなりの数にのぼる。しかも、離婚した話は聞かない。
 学生さんの個性も豊かだ。政治哲学を論じてばかりいて、選挙後、大学院に行 って地方政治制度の研究にのめり込んでいったもの。自らに『ゲンバ(現場)』というアダ名をつけ「ボクは頭が悪いから、ポスター貼りなどのゲンバだけやらせて下さい」といった頭のいいものもいた。
 大学を卒業した後も「お手伝いをさせて下さい」といって事務所に残ったのが敷田博昭というキャシャな若者。都筑区の嶋村、大久保両市会議員から高い評価を得て、昨春の統一地方選で同区の県会議員に当選した。なんと、まだ35才の若さだ。この人の周辺にも気心の通じた若者がたくさんいる。彼らは私にとっ てはいわば子どものようなものだ。
 今回の選挙で時代の流れを感じたのは、私のホームページを見て事務所に飛び込んできた女子学生のいたことだ。「他の政治家のホームページもみたが、鈴木さんとこが一番面白そうと思った」とかいって現れたが、ベテラン運動員の一人はいった。「オイ、あいつスパイじゃねぇのか、敵の」。しかし、彼女は明るく、いやな顔ひとつせずに皆と一緒にがんばり抜いてくれた。なんとバイオリンをうまく弾く子だ。
 これまでに私をサポートしてくれた学生さんたちは、いったい何人になるのだろうか。その彼らが異口同音にいうのは、「貴重な、かけ替えのない、良い経験 をさせてもらいました」という言葉だ。実にその通り。私の妻に言わせると、「学生さんたちの顔って、選挙戦が進むにつれて、日を追って引き締まってくるのよね」ということになる。
この二月一日、私はまたその中の一人、T君の結婚披露宴に招かれ、彼に再会する。オイ、T君、まさか新婦は、あの選挙の時の、あの子じゃないだろうね?














Copyright (c) Tsuneo Suzuki All Right Reserved.