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尊属殺人をはじめとする凶悪犯罪、企業や団体の不祥事、政治とカネをめぐるスキャンダル、そして目に余る社会秩序の乱れ…。年を追うごとに深まる『日本の劣化』現象に、頭を抱えることがますます多くなった昨今である。世界一の治安の良さ、礼節や他者への思いやりを尊ぶ気持ちといった『日本の美風』はいったいどこへ行ってしまったのか。たとえば与党の教育基本法改正検討チームの一員として、私は何度こうした問題提起をし、議論を重ねてきたことだろう。
何が社会を変えつつあるのか。いや、社会の何が変わってしまいつつあるのか。自問を繰り返してきた私に、「アッ、そういう価値観の支配が始まったのか」と、鋭いメスを目の前に突きつけられたようなショックを与えた記事にぶつかったのは2004年11月20日の「朝日」だった。プロ野球球団の買い取りをめぐって話題をさらった「ライブドア」の若き社長、堀江貴文氏へのインタビュー記事がそれ。なんと、「お金で買えないものなんてあるはずがない」というのが主見出し。記事のサワリを引用すると−。
(インタビュアー)
おカネで計れないような価値を広めたいとは思いませんか。
堀江
それに何の意味があるのか、逆に教えてほしいですよ。世の中、おカネで買えないものはないし、おカネの前ではすべて平等なんです。いくら貧乏でも、才能があれば、それをおカネに換えられるし、頑張った分だけ報われる。
頭がいいとか、運動能力が高いとか、芸術的な才能があるとかって、絶対的な基準で比較はできない。でも、稼ぐおカネで推し量ることはできるんです。
(インタビュアー)
はっきりしていますね。
堀江
「おカネで買えない価値がある」なんていうのは、自分が努力しないことに対する逃げ、自分の才能が足りないことを認めたくない逃げですよ。
僕は自分に能力がないんだったら、努力するか、あきらめるか、はっきりしろよって言いたいですね。
市場原理に基づく厳しい優勝劣敗のビジネス社会で一流の座を占めるのには、このくらいの明確な哲学と気力、行動力が必要なのだろう。それはわかる。だが、問題は「世の中、おカネで買えないものはない」という哲学が、「経営の哲学」の枠を飛び越えて、「すべての社会の哲学」とでも言わんばかりの論理であることだ。
堀江社長の論をひっくり返すと、「世の中、おカネのためなら何をやってもいい」という理屈になりかねない。すべてが「カネの切れ目が縁の切れ目」でいいのか。東大在学中にビジネスを起こし、何百億もの財を築いた頭のいい青年実業家だから「そんな単純なことを言ってはいない」と反論されるかもしれないが、ほんとうに残念なことは、この逆説を頭に置いて最近の世情をみると、まるで大津波の押し寄せてくるようなイメージで、この価値観が日本社会を覆いつくし始めているような恐怖心を覚えるのだ。
これは「世の中にはおカネでは決して買えない大切なものがあるんだよ」と教えられて育った世代のグチ(愚痴)と受け取られてしまうのだろうか。国会図書館の人に調べてもらったら、昨年の参議院選挙で参議院議員もついに戦後生まれが58.7%と半数を越え(選挙前は42.7%)、衆参国会議員全体でも61.8%、つまり3人に2人が戦後生まれとなる時代が間近い。(別表をご参考に)
この『時の流れ』といまの世の中のキーワード「改革」とは、いったい人々にほんとうに幸福をもたらすものなのだろうか。
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