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横浜の北西部一帯は、奈良時代から昭和14年まで「都筑郡」と呼ばれていました。「都筑区」の名称は、この歴史的に由緒ある地名を受け継ぐとともに、これからの街づくりが新しい「都を筑(きず)く」という、区民の総意で進むことを願って、つけられたものです。 都筑区は横浜市の北部に位置し、平成6年11月6日に、港北区と緑区の再編成により誕生し、昨年10年を迎えました。
区域の北部と中央部は港北ニュータウン地域で、豊かな自然と緑を残しつつ、都市と農業が調和した新しい街づくりが進んでいます。
区の中心となるタウンセンター地区は横浜の副都心として、商業・業務・サービスの集積や、文化施設の整備が計画されています。現在、総合公園の整備が進み、区総合庁舎・警察署・病院・郵便局・銀行・商業施設などが開業しています。
また、区内で2番目の鉄道である、横浜環状鉄道線(日吉〜中山)の建設が着々と進んでいます。
区内にはまとまった農地があり、野菜を中心に都市農業がさかんです。
また、数多くの企業の本社・研究所・研修所が進出しており、鶴見川沿いには市内でも、屈指の工業地帯が形成されています。
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港北区は、昭和14年4月戸塚区と同時に誕生しました。当時の港北区は、現在の港北区、緑区、青葉区、都筑区をあわせた区域で、人口は約5万人あまりでした。
その後、昭和44年に緑区(現在の緑区、青葉区及び都筑区の一部)を分区、さらに平成6年11月に行政区再編成により区の北西部地域が都筑区に編入されて現在の港北区になりました。 明治41年に現在のJR横浜線が、大正15年に現在の東急東横線が開通したことにより、港北区は、横浜市の内陸部としてはいち早く市街化が始まりました。昭和初期には、綱島温泉が賑わい、慶應義塾大学予科が日吉に移転し、東急東横線の各駅周辺で宅地開発が見られました。
昭和39年、東海道新幹線の開通に伴って新横浜駅が開業すると、新横浜駅北部地区土地区画整理事業が開始され、横浜駅周辺・関内・関外地区に次ぐ横浜市第二の拠点としての整備が始まりました。
昭和60年に横浜―新横浜を結ぶ高速鉄道3号線が開通、平成5年にはさらにあざみ野(青葉区)まで延伸され、新横浜北駅(現在の北新横浜駅:平成11年8月に改称)と新羽駅ができると、新羽町の準工業地域では工場や倉庫から住宅への転換が見られるようになりました。また、そのほかの準工業地域でも住宅への転換が急速に進みつつあります。 |